其の余の傍国と使驛通じる所三十国

其の余の傍国と使驛通じる所三十国

さて、此処迄に反時計回り連続説で連続する二十一国が全て比定され、邪馬台国へ至る道程上の六国を足して重複する奴国を引いた二十六国に首都邪馬台国を加えると、女王国連合=倭国の構成国は計二十七国となります。ところが『魏志倭人伝』には今使驛通じる所三十国と記されています。

過去の研究者はこの三十国を概数と考えた者と実数と考えた者が居る様ですが、実数と考えた者は二十七国に奴国を重複させ、投馬国を含め、何故か倭国の敵国狗奴国迄をも含め、三十国に合わせています。

しかし実際には当時魏に朝貢していた倭の王は卑弥呼だけだったので、使驛通じる所三十国は全て倭国の構成国でなければなりません。狗奴国のような倭国の敵国は魏に朝貢していないので、三十国に入れてはいけないのです。すると使驛通じる所三十国は『魏志倭人伝』に國名の紹介される二十七国だけでは、どうしても三国足りなくなります。

そんな中、私は国名の解っている小国二十七国の入った倭国地図を作成していたところ、郡使の滞在する伊都国から遠絶な豊後国の東部と南部にどうしても三箇所の空白が残ることに気付きました。そこで私はその三カ所の空白こそが残る三国の倭国の構成国であり、其の余の傍国ではないかと考えました。

其の余の傍国三国を加えると、使驛通じる所三十国が全て出揃うことになります。しかし其の余の傍国の国名は『魏志倭人伝』は記されないので、当時の国名は後世の郡名から推測することになります。

以下;其の余の傍国三国 

㉘ 国東国(くにさきこく)=豊後国国東郡(大分県国東市・豊後高田市・杵築市)

㉙ 大野国(おおのこく)=豊後国大野郡(大分県豊後大野市)

㉚ 海部国(あまべこく)=豊後国海部郡(大分県佐伯市)

邪馬台国問題に決着をつけるサイト

『魏志倭人伝』を書いた陳寿が参考にした「倭国報告書」は、帯方郡使が倭国を訪問した際、伊都国滞在中に書いたものであった。 つまり、伊都国以降の奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国、及び女王国以北の連続する二十一国の記事は全て、郡使が伊都国で倭人から伝聞した情報で書かれたことになる。即ち、伊都国を中心とした放射説、及び反時計回り連続説が成り立つのである。

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