范曄の説は【漢委奴国王】銘の金印を賜った奴国を倭の極南界とすることが、実際には金印が志賀島から出土したことに矛盾しており、女王国の南に在るはずの狗奴国を、女王国の東の海を越えた倭種の国と混同せざるを得ないこともやはり、間違っている証拠と思われます。
もしそうであるならば、連続する二十一国中最後の㉑奴国と、邪馬台国へ至る道程中の㋔奴国は同じ国だと云うことになります。
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『魏志倭人伝』を書いた陳寿が参考にした「倭国報告書」は、帯方郡使が倭国を訪問した際、伊都国滞在中に書いたものであった。 つまり、伊都国以降の奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国、及び女王国以北の連続する二十一国の記事は全て、郡使が伊都国で倭人から伝聞した情報で書かれたことになる。即ち、伊都国を中心とした放射説、及び反時計回り連続説が成り立つのである。
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